たす研の研究成果置き場

自分おたすけ研究会 (たす研) のブログです。 月1回オンラインにて定期開催。お気軽にお越しください。

7月12日 たす研リポート

みなさん、こんにちは、たす研運営です。 7月12日のたす研のリポートをお届けします。

3人以上の会話、絵
3人以上の会話

暑さと私の苦労、絵
暑さと私の苦労

参加人数

今回、参加人数を6人(運営も含めて)としたのですが、直前にお一人増員して計7人となりました。そういえばこのことをお伝えするのを忘れていました…。申し訳ありません。

チェックイン、自己紹介、アイスブレイク

いつものように一巡、自己紹介を行いました。今回はアイスブレイクとして、「最近嬉しかったこと」を添えていただきました。 印象的なエピソードとして、とある参加者さんが嬉しかったことを発表された後、他の参加者さんが、
「その方の嬉しかったことを聞いて私も嬉しくなりました」
という言葉がありました。前回からこの会には温かい雰囲気があるなあ、と感じていましたが、こういうことの積み重ねが温度を作ってくれているのかもしれませんね。参加者さんに感謝です。

困りごと発表

いつもは「困りごと」を考えて整理してもらう時間を作るのですが、この日はそれがすっぽり抜け落ちておりました。それなのにみなさん、自然に語ってくださってありがとうございました。 さて、いつもTwitterの告知には運営メンバーのテーマを例としてあげているのですが、今回はその一つ、「3人以上の会話」に関する苦労が多く語られました。たとえば、

「飲み会の席でのやりとりで、自分って必要なのだろうか?」

と思ってしまうことや、

「自分のターンがいつ回ってくるかわからなくて落ち着かない」

などです。

もう一つは、

「汗かきで苦労している」

という、前回とはちょっと毛色が違う困りごとが語られました。 他にもテーマは出たのですが、今回は似た困りごとを抱えている人が多いこと、そしてユニークなテーマが気になるということで、この二つに決まりました。

研究テーマ1 「3人以上の会話」

メインの時間です。ここではさらに語りを深めるのですが、いやあ出るわ出るわ苦労話。私も「あ~、あるなあ」と、ほとんどうなずきっぱなしでした。 さて、そんな中で、一つ面白い仮説が語られました。それは、

「しゃべりたいだけの人は静かな人に近づき、ガンガンしゃべるだけしゃべる。ここに集まっているのはその犠牲者ではないか」

というものです。おお、と思った後、ちょっと過激かなあ、とも考えました。ですがこの後、「そう言われるとガンガンしゃべる人が周りにいる」「そういう人が学生の頃周りにいた」ということが語られました。あれ、もしかして結構その傾向があるのか…?と、ふんわりと仮説が実証される気配を感じました。 もう一つ、
「声が小さくて言葉が伝わらず、聞き返されることを繰り返すと、会話そのものがいやになってしまう」
ということも語られました。僕も「聞き返される」という行為に、なんともビクビクしてしまうことがあったので、「あ、すごいわかる」と聞いておりました。すると、参加者さんの一人がそれに応答して、
「聞き返すって、結構パワーがいることなんですよね。で、それをするってことは”あなたに興味があります”ってことなんです。なので、いい方向にとらえてもらえるとうれしいなあと思います」
と語られました。 これには発表者も私も、目からうろこでした。でも聞き返す側の立場にたったらそうだよなあ、と深く納得しました。

研究テーマ2 「暑さと私の苦労」

発表者さんは、汗っかきなことに日常的に苦労されていました。例をあげると、プラスチックの椅子に座っていたら大量のみずたまりができてしまったり、電車の切符をポケットに入れていたら、切符がぬれて自動改札機を壊してしまったことがある、などです。 その中で、

「とある病院の待合室で、まわりが結構女性ばっかりなんですよね(発表者さんは男性)。で、その中で汗をかいていると、すごく場違いというか、”おっさん”じみたものを自分で感じて…。」

ということが語られました。 これへの応答で、

「自分はそういうところに男性がぽつんといるなら、この人は相当困っているのでは?と思います。不愉快な気は全然しません」

ということが返されました。 また、「自分は逆に汗が出ない体質で、少し健康的でうらやましいと感じました」という声も聞こえました。 その後、発表者さんは

「汗というものにネガティブなイメージが強く、ポジティブなイメージを持つ機会がなかった。少し大きく構えようかな」

と語られていました。

クロージング

この日は二つの研究が終わっても、少し時間が余っていました。なので、参加者さんからの提案で、雑談のようにテーマを振り返ったりしていました。前半のテーマを振り返っていたとき、

「もうこれで人と話すのがいやになっちゃう、というとき、人のいないところに言ったりします。目で見て鼻で感じて…そんなことをすると、また人とコミュニケーションとろうと思える」

ということや、

「自分の好きな木にタッチしたりしてますね」

という、コミュニケーションそのものの解決策ではありませんが、みなさんの普段の対処方法を共有していただけました。 そして、最後にお一人ずつ感想をお聞きし、今回は終了となりました。

終わりに

またしても遅くなりました…。 あ、ちなみに今回のPCトラブルは、クロージングのときに突如再起動が起こるというのがありました。今回こそはいけると思ったのですが…。

たす研リポート 5月6日 オンライン

今回、「研究報告」が「リポート」に変わりました。言葉遊びみたいなものなのですが…。詳細は末尾に。

こんにちは、前回たす研でファシリテーターをやらせていただきました巻向と申します。前回のたす研の模様を、少しお伝えさせてもらいます。

チェックイン

18:30あたりからポツポツと参加者の方がZOOMにインされて、少し経ってから始まりました。 まずは、私からルールについての確認をさせていただきました。その後、自己紹介に移ります。
今回は、

  • 呼ばれたい名前

  • 今日の気分体調

    それにアイスブレイクとして、

  • 「最近笑ったこと」

を、お一人づつ言ってもらうことにしました。…が、よくよく考えたら「笑ったこと」って、あったとしても他の人に(しかもほぼほぼ初対面の人に)伝えるのって、結構難しいですよね。僕も自分の番のとき、そのことに気づきました。うーん、テーマがよくなかったか、それとも私の扱い方が悪かったのか…。
そして、当日の進行メモを読み返してみたら、本当は「最近嬉しかったこと」を話してもらうことになっていました。緊張して読み違えたのでしょうかね…。

困りごと発表

その後、皆さんの「困りごと」を整理する時間を、5分ほどとりました。特にワークシートなどは用意していなかったので(怠慢万歳!)、各々メモ帳など使ってください、と丸投げでした。 ちなみにこの間、私と書記はホワイトボードの整理にあたふたしていました。私たちも困りごとを抱えた当事者なので、この時間はもちろん必要なのですが…。幸いなのは、二人とも事前に困りごとを用意していたことでしょうか。初めてのオンライン開催なので、いろいろあたふたがありました(後にもあります)。

テーマ決め

10分ほど休憩を取ったのち、その内容を一巡で発表してもらいました。そして私から、「時間的に、経験的に2つ、多くて3つに絞りたいなあ、と思うんですが、どうでしょう?」と声をかけさせてもらったところ、色々と反応が帰ってきました。 「この2つの困りごと似てるよね」「今回はせまく、深くやりたいかなあ」「なら、私のテーマは広すぎるかもね」などなど。参加者の方が活発に話し合ってくれたおかげで、わりとすんなりと二つの研究テーマが決まりました。 決まりにくいこともあるかなあ、と、実は事前に「研究テーマ決めサイコロ」なるものを用意していたのですが、いらぬ心配でした。参加者の方に恵まれていたなあ、と感じる一幕でした。

研究

さて、一番の肝となる研究です。 今回は、人との距離恋愛について研究することになりました。
まずその研究テーマを出してもらった方からより詳しいお話を伺いました。それを書き取っていき、ひと段落ついたら他の方からの質問・感想を受け付けます。それに応答し、さらに質問があり、感想があり、それへのさらに感想があり…と、これが続きます。そしてそれを書き取り眺め、さらに…と。 最後に、発表者の方に感想をお聞きして、一旦終了とします。これを2回行いました。
ちなみに、ここでもトラブルはありました。書記をやっていたメンバーのPCが突如再起動をはじめてしまったのです。幸い、他端末からすぐに復帰できたので、そこまでの時間はロスしていないと思うのですが…。いやあ、実際やってみると予想外のことが起こるものです…。参加者の皆様、ご心配おかけしました。でも多分、似たようなことこれからも起こると思います、すいません…。ぼちぼち対策はしていきます。

私の感想

さて、私の感想なのですが…すみません、書いている現在、当時の感覚が大分抜け落ちていってしまっています。早めに書こうと思っていたんですがねえ…。月並みな感想になってしまうかもしれませんが、ご容赦ください。
どちらの研究も、私にとって重要なことで、心臓をドキドキさせながら聴いておりました。自分の思い出したくないような記憶、痛い記憶に似たものが他の人から語られることで、痛いような、でも癒されていくような感覚…。ある人はこういった活動を行う理由を「痛気持ちい」からと表現していましたが、似た感覚かもしれません。動かしていない筋肉を動かしていく、ストレッチの感覚に近いのかもしれませんね。 そんなことを全身で受け止めながらのファシリテートだったのですが、今回、上で書いたように、なかなか活発な雰囲気で、私は結構楽をさせてもらいました。少しお話しを振らせてもらったりしたくらいで、あとは終了の合図をしたぐらいじゃないでしょうか。その割に「弱さの情報公開」はできていて、内心結構満足な当事者研究になったかな、と思っていたのですが…参加者のみなさま、どうだったでしょうか?

終わりに

リポート遅くなって申し訳ありませんでした。終わってから「書けないよ~」とミーティングなどしておりました。(それ以外の時間?…。)
書く上で、本当にたくさんのことを省いて書きました。多分当日の10分の1、いえ100分の1にも満たないのではないでしょうか。私の力量不足ゆえ、こんな感じになっております。ご容赦いただけると幸いです。 そして同時に、あの2時間で本当にいろんなことを話したんだなあ、と感動を覚えます。ぼうっと時間を過ごすのが得意な方なので、2時間なんてあっという間に過ぎてしまう時間だと思うのですが、こういう「濃い」時間にも化けるのだなあと。…まあ、全部の時間がこの濃さだと、私は早晩倒れると思いますが。今回、「楽をさせてもらった」と自覚はしつつも、やっぱり疲れはしたので。心地い疲れではあるのですけどね。

さて、これにて6月5日のリポートを終わります。ここまで読んでいただいてありがとうございました。








研究報告からリポートへ

ほんと、言葉遊びみたいなもので、そこまで高尚な意味があるわけでもないのですが…。 たす研のミーティング(次のたす研どうしようか、などを話し合う)で、「当事者研究の成果というのは、当事者本人のもので、他人がまとめることはできないのではないか」ということを話し合いました。「べてるの家の『当事者研究』」などを読むと気づくのですが、その報告者は、苦労を生きたそのご本人です。もちろん、お互いに助け合いながら書かれたものではあるとは思うのですが、やはり苦労を生きた当事者本人が報告する、ということには大きな意味があるのではないか、と思います。ただ、だからといって「他人がまとめること」を全否定するかといえば、そうでもなく、という…。
たす研自身、まだまだ迷っているところです。


今回は「研究報告」ではなく、「リポート」にしてみる、ということになりました。
あるカフェに行って、そこがどう言う場所で、居心地がどういう感じか、ということを感じてもらえるようなリポートを目指した…つもりです。
もちろん、それでいいことづくめなわけではなく、「じゃあ研究報告はどうするのか」「そもそもリポート記事書けるような文章力があるのか」などなど、課題は山積みのままなのですが…。

研究報告 (4/19)

報告が遅くなりましたが、4/19にたす研を開催しました。

今回は、「自粛とわたし」というテーマで、コロナウイルスが猛威を振るう中、自粛生活が始まって感じたことを語り合いました。

今回は6名の参加でした。話の中から、いくつか重要なテーマが浮かび上がってきたので、それらを軸にまとめていきます。

 

○家の中にこもる生活に突入して……

・外に出ないための口実ができたのはいいけど、出たいときに出られないのは…

・美術館とか本屋とか喫茶店とかが閉まって、出かける先がどんどんなくなっていくのがストレス

→普段そういう場所が開いていたことに安心感を感じていた

→自助会を開催しても、誰も参加者がいなかったら嫌だなと思っていたけど、「ある」ことに安心感があるのだったら、参加者0人でもやる意味はあるのかもしれない

・自助会に行くことは疲れるけど、外に出る経験になっていたことに気づいた

 

○オンライン生活、どう?

・今はまだ「新しい試み」という段階かもしれないけど、オンラインがスタンダードになるまで開催し続けたら、これまでの場所を使う自助会に替わるのかもしれない

・オンラインで開催すると、遠くに住んでいる人ともコミュニケーションが取れるのはいい点。だけど、対面で会に参加すること、場にいること自体が心地いいという感覚もあるので、それができないのは残念

オンラインだと、場に閉じ込められたような感覚がつきまとってくる

→対面だと、行き帰りの道中でいろいろ考えたり、話したりできる

→肉体があることの良さはある。対面だと、会に合わなかったときはしんどいけど、今となってはそのストレスこそに意味があったのかなと思う

 

○最近やたら出てくる、「不要不急」という言葉について

・「不要不急」という言葉によって、文化活動がなくなったり、学校で友達と遊んだり本を読んだりすることがなくなっている。それでどんどん余裕がなくなってストレスを感じている人はいっぱいいるんじゃないか

→真っ先に削られていくのが文化なんだなあと。娯楽は「不要」なのか…

→仕事に関しては許されているというのが腑に落ちない、後回しにしようと思えばできるじゃん…

・自助会を中止することで、自助会の活動も「不要不急」なのだと認めてしまっている部分があるんだなと思うと、悲しくなる

→自助会に命をつないでもらっていたんだなと気づいた。かと言って「自助会は不要不急じゃないんだ」と言う元気もない…

 

○こちらもやたら出てくる、「自粛」という言葉について

・「この状況だから店を閉めた方がいいですよ」みたいなやり方で自粛させるのが、とても嫌らしいと感じる

・「自粛」は、本来なら自発的にやるもののはず。「自粛してください」と要請する意味がわからないけど、自粛要請だけでここまで経済活動を止められるのも、それはそれで凄いこと。補償などの見返りがさほど充実しているわけでもないのに

・自粛を強いられる状況がいつまで続くのかわからず、息切れしかねない不安がある。「コロナのある世界」でどういうふうに生きていくのか、ちょっとずつ考えないといけないのかもしれないな

 

○その他

 

・「こういう状況だからこそ「選択肢としてはあったけどできなかったこと」に挑戦できるチャンスだと思う」ことと、政府にちゃんとした対応を求めることは両立できる。「批判してはいけない」という風潮に縛られている人って結構多いと思うし、どっちかに振らなくてもいいのではないか

→自分にできることをすることと、自粛によって破綻しない体制作りを訴えることは両立できるのでは?

 

今回も、いろいろと面白い話ができました。特に、「不要不急」「自粛」といった言葉について突っ込んだ話ができたのがよかったなと思います。

筆者としては、いかにして「普段はあまり使わないけどないと困るもの」を作るor守るかが、今後大事になってくるのかなと感じました。

 

次回の開催予定は未定です。また日程が決まり次第告知しますのでお楽しみに。

研究報告 (3/28)

報告が遅くなりましたが、第二回たす研の研究報告です。

今回は5名の参加者にお越しいただきました。

 

第一回の研究で、「つらいことをそのまま「つらい」と言えることが大切なのでは」という話が出たので、3つの問いを立てて掘り下げてみました。

 

①つらいことを「つらい」と言えるようになるためには?

②つらいことを「つらい」と言うのを押し込めてしまう原因は?

③つらいことを「つらい」と言えるのはなんで大切なのか?

 

・「つらい」と言おうと意識するだけでは、言えない

・他の人が語っているのを聞いた時に、「言ってもいいんだ」と思えるようになる。そして、触発される形で自分のつらさが話せるようになる

→つらいと言えるためには、「つらい」と言う他者が必要?

 

・「しんどい」人とそうでない人の間には、どうしても権力差が発生してしまう。つまり、つらいことを話そうとすると、いきおい「しんどい」人が下になり、そうでない人が上、という構図ができあがる。

・強さ (集団内で発言力を持つ人とか) への敵対心から、強い人を否定するという「強さ」を獲得しようとしてしまう。その結果、かえって「つらい」と言えなくなる

・「つらい」と言えないということは、実は弱いことなのでは?

・しんどい人に対して言いがちな「つらいのはみんな同じだよ」という言葉は、自分の体験に根付いていない、空虚な言葉。人それぞれ違うはずのつらさを矮小化してしまい、追い詰めてしまう。

・一見「強い」人にも、弱いところはある。それに気づくことで、ルサンチマンを解呪する効果がある

 

・「つらい」と言うことには、ルサンチマンの呪いを解呪する効果がある

→解呪できると、本当はどうなりたかったのかが見えてきて、そこに生きやすくなる手がかりがある

・「「つらい」と言うと生きやすくなる」と言うと、生きやすくならなかった人に対して「生きやすくならなかったのは自己責任」というメッセージにもなってしまう

・「つらいと言うといいよ」「当事者研究するといいよ」と言う人の背景には、そう言えるに至るまでの膨大な経験がある。だけど、言葉にして伝える時、膨大な経験がどうしても切り捨てられて伝えられてしまう。結果、言葉だけが独り歩きして何も伝わらない。当事者研究のよさを伝えるのが難しいのはこういうところかも?

→どういう経験をしたかを話すとよいのかな?

 

 

次回のたす研は、4/19 (土) 15:00~17:00です。

次回はZoomを使用してみたいと思います。参加してみたい方は、Twitter (@tasuken_osaka)までお気軽にDMください。

研究報告 (3/13)

記念すべき、たす研第一回でした。ゆるゆると続けていければな~と思います。

 

・参加者は3名。

 

・グループの名前について。「当事者研究」という言葉だと、参加したことがない人からすると何をやっているのかいまいちわからない。だから、やってることが70%くらいわかるような名前をつけたい。それなら、「自分おたすけ研究会」はどうだろう。これならやってることがわかる。愛称は「たす研」でどうだっ!ということで、グループ名は「自分おたすけ研究会(たす研)」に決まった。

 

・なぜたす研をふくわらいで開催しようと思ったのか。それは、ふくわらいを1年間やってきて、シェアハウスを維持する難しさを感じたからだった。シェアハウスは簡単になくなってしまう。だけど、シェアハウスがなくなっても、シェアハウスで過ごしたことで得られた財産は残るはず。だから、財産を残すために、たす研をふくわらいで開催しようと思った。

 

・「自分おたすけ研究会」ってどういうグループだろう?それを考えるために、非モテ研が「モテ講座ではない」と言っているのに注目した。「非モテ研はモテ講座ではない」と最初に聞いた時、「安心した」。なぜかというと、モテるための技術よりも、今の自分の苦しさについて話したかったし、そういうことが安心して話せる場だとわかったから。苦しみが「なかったことに」されてしまうと、苦しみの行き場がなくなってしまう。苦しみはモテるためのエネルギーに転化させるよりも、苦しみとしてそのまま出したい。おそらく、非モテ研がモテ講座だったら、ここまで通い詰めてはいなかった。

 

・どんな小さなことでもいいから、気軽に自分の苦しみ、生きづらさについて語れる場であることがたす研の理想。だけど、大々的に「これがたす研です!」と掲げてしまうのは、逆に話しにくくなる人が出てしまうのではないだろうか。それなら、仰々しいスローガンを掲げるのではなく、毎回の研究を報告していくというスタイルでいってみよう。

 

 

2時間以上話していましたが、研究報告だと伝えきれないくらいに濃密で面白い話ができました。苦しみを気軽に語れる場があるっていいですね。

 

次回のたす研は、3/28(土)15:00からです。