研究報告 (4/19)
報告が遅くなりましたが、4/19にたす研を開催しました。
今回は、「自粛とわたし」というテーマで、コロナウイルスが猛威を振るう中、自粛生活が始まって感じたことを語り合いました。
今回は6名の参加でした。話の中から、いくつか重要なテーマが浮かび上がってきたので、それらを軸にまとめていきます。
○家の中にこもる生活に突入して……
・外に出ないための口実ができたのはいいけど、出たいときに出られないのは…
・美術館とか本屋とか喫茶店とかが閉まって、出かける先がどんどんなくなっていくのがストレス
→普段そういう場所が開いていたことに安心感を感じていた
→自助会を開催しても、誰も参加者がいなかったら嫌だなと思っていたけど、「ある」ことに安心感があるのだったら、参加者0人でもやる意味はあるのかもしれない
・自助会に行くことは疲れるけど、外に出る経験になっていたことに気づいた
○オンライン生活、どう?
・今はまだ「新しい試み」という段階かもしれないけど、オンラインがスタンダードになるまで開催し続けたら、これまでの場所を使う自助会に替わるのかもしれない
・オンラインで開催すると、遠くに住んでいる人ともコミュニケーションが取れるのはいい点。だけど、対面で会に参加すること、場にいること自体が心地いいという感覚もあるので、それができないのは残念
→オンラインだと、場に閉じ込められたような感覚がつきまとってくる
→対面だと、行き帰りの道中でいろいろ考えたり、話したりできる
→肉体があることの良さはある。対面だと、会に合わなかったときはしんどいけど、今となってはそのストレスこそに意味があったのかなと思う
○最近やたら出てくる、「不要不急」という言葉について
・「不要不急」という言葉によって、文化活動がなくなったり、学校で友達と遊んだり本を読んだりすることがなくなっている。それでどんどん余裕がなくなってストレスを感じている人はいっぱいいるんじゃないか
→真っ先に削られていくのが文化なんだなあと。娯楽は「不要」なのか…
→仕事に関しては許されているというのが腑に落ちない、後回しにしようと思えばできるじゃん…
・自助会を中止することで、自助会の活動も「不要不急」なのだと認めてしまっている部分があるんだなと思うと、悲しくなる
→自助会に命をつないでもらっていたんだなと気づいた。かと言って「自助会は不要不急じゃないんだ」と言う元気もない…
○こちらもやたら出てくる、「自粛」という言葉について
・「この状況だから店を閉めた方がいいですよ」みたいなやり方で自粛させるのが、とても嫌らしいと感じる
・「自粛」は、本来なら自発的にやるもののはず。「自粛してください」と要請する意味がわからないけど、自粛要請だけでここまで経済活動を止められるのも、それはそれで凄いこと。補償などの見返りがさほど充実しているわけでもないのに
・自粛を強いられる状況がいつまで続くのかわからず、息切れしかねない不安がある。「コロナのある世界」でどういうふうに生きていくのか、ちょっとずつ考えないといけないのかもしれないな
○その他
・「こういう状況だからこそ「選択肢としてはあったけどできなかったこと」に挑戦できるチャンスだと思う」ことと、政府にちゃんとした対応を求めることは両立できる。「批判してはいけない」という風潮に縛られている人って結構多いと思うし、どっちかに振らなくてもいいのではないか
→自分にできることをすることと、自粛によって破綻しない体制作りを訴えることは両立できるのでは?
今回も、いろいろと面白い話ができました。特に、「不要不急」「自粛」といった言葉について突っ込んだ話ができたのがよかったなと思います。
筆者としては、いかにして「普段はあまり使わないけどないと困るもの」を作るor守るかが、今後大事になってくるのかなと感じました。
次回の開催予定は未定です。また日程が決まり次第告知しますのでお楽しみに。